ある二世のブログ

家庭連合(旧統一教会)の現役二世信者のブログです。家庭連合の教義、自身の信仰について、分派問題、マスコミ報道、時事問題、その他、日々感じることを綴っていきます。

なぜ宗教を信じるのか

日本では、何か宗教をやっていると言うと、変な目で見られることが多い。おそらく、家庭連合を含め、新興宗教をめぐる様々な問題がそのイメージを悪くしているのであろうが、そもそも宗教を信じることについて、概して、あまり良い感情を持たれない。日本人はよく無宗教に近いと、海外では言われるが、調査でもその結果が表れている。世界68カ国を対象に行ったギャラップ・インターナショナルの調査によれば、世界人口の7割は神を信じている一方、日本は中国に次いで2番目に無神論者が多い国だという。
 
しかし、そんな日本においてさえ、宗教的行いは身近なものである。正月になれば、神社にお参りし、一年の安寧を祈願する。お盆には帰郷して先祖供養を行い、戦争や災害の犠牲者に対しては、黙とうを捧げる。おみくじを引いては、その結果に一喜一憂し、勝負事にはゲンを担いだりする。神仏は信ぜずとも、目に見えないスプリチュアルなものは意外と信じていたりするのが日本人である。これは、長い歴史の中で育まれた文化でもあり、人々が多かれ少なかれ、普段の日常の中でスピリチュアルな体験をしているからに他ならない。
 
スピリチュアルと聞くと、超自然的で、神秘的な出来事を想像しがちだが、実はそうとも限らない。例えば、パワースポットに行って癒されたとか、自然の雄大さに感動したとか、讃美歌を聞いて、なんとなく敬虔な気持ちになったとか・・。そのように一見ありふれた体験も、れっきとしたスピリチュアル体験なのである。それが積み重なると、神や仏といった超自然的存在に対する畏敬の念が生まれ、信仰と結びつくのである。
もちろん、もっと直接的で強烈な体験をする人もいる。いわゆる臨死体験や心霊体験、奇跡体験などがそれにあたる。たとえ無神論者であっても、臨死体験を通じて、神を信じるようになった、死後の世界を信じるようになったという話はよく聞く。
 
宗教においても、はたから見て、荒唐無稽とも思える教義を信じているのは、彼らの中に、確固としたスピリチュアル体験があるからである。先に述べた臨死体験や心霊体験、奇跡体験、あるいは、教義の教えを実践する中で感じる世界、そういった体験が積み重なって、信仰が確信へと変わっていくのである。世間から異端だ、洗脳だと言われようが、彼らにとっては、その体験こそが真実であり、信仰を続ける理由でもある。
 
初期のキリスト教において、激しい迫害の中でも教えが広まった背景には、弟子たちが復活したイエスと出会ったという体験が大きかった。十字架で火あぶりにされようと、石で打ち殺されようと、彼らにとっては、イエスとの神秘的出会いこそが真実であり、布教を行う原動力であった。キリスト教神学の基礎を築いたパウロはどうだったか。当時、敬虔なユダヤ教徒として、キリスト教迫害の先頭に立っていたパウロは、ダマスカスに向かう途中、復活したイエスと出会い、一夜にして回心した。
 
今や世界中で歌われている讃美歌、アメージング・グレイスを作詞したジョン・ニュートンは、かつて奴隷貿易に携わっていた。しかし、航海の途中、嵐に遭い、死を覚悟する中で必死に神に祈り、難を逃れた。その後、牧師となったニュートンは、奴隷貿易への懺悔と、そんな自分にも赦しを与えてくれた神への感謝から、上記の歌を作ったという。
 
このように、スピリチュアルな体験は、しばしば、その人の人生観を劇的に変化させる。家庭連合の信仰は、高額献金など、世間の常識から見れば、半ば気ちがいのように映るかもしれない。しかし、それを単に洗脳されているという理屈だけでは、彼らの信仰を本当の意味で理解することはできない。(そういった体験を一種のトランス状態や集団ヒステリーのように解説する専門家もいるが・・)
 
家庭連合という宗教をなぜ信じるのか、疑問を持つ方々には、是非、以下の動画を観てもらいたい。日本統一教会の礎を築いた、久保木修己先生の入教のいきさつが語られている。先日、奥様である哲子夫人が92歳で聖和された。心からのご冥福をお祈りいたします。
※聖和:家庭連合の用語で、逝去の意味
 
また、久保木先生が執筆された、以下の書籍も紹介したい。生い立ちから入教、哲子夫人との馴れ初めや、岸信介首相を始めとする各国要人とのエピソードが綴られている。
 
もはや家庭連合の解散命令請求は避けられない状況ではあるが、せめて、一旦、反社会的なカルト教団というフィルターを外し、客観的な視点で見つめてもらえれば幸いである。